自分越え

僕がある村に引っ越して、初めて集落の飲みの席に参加した時のこと。初めて見る「スズメバチとその幼虫のバター炒め」が出ました。話には聞いたことがある蜂の子です。蜂の子と言いながらも、明らかに親もいます。スズメバチの姿のまま、その子供たちであろう幼虫と一緒にバターで炒められています。
ここに来る以前、僕は街の方に住んでいました。食卓で蜂の子を目にすることは、まずありません。都会の人にさあ召し上がれと言っても大体の人は食べないでしょう。そんな僕の動揺をよそに、蜂取り名人のおじいさんはニコニコしながら嬉しそうに鉢に蜂を盛っていきます。きっと他所から来た僕を歓迎してくれているのでしょう。しかしその笑顔の奥には、「どうせ街の人は食べきらんやろ」と心の声が聞こえる気がします。「見とけよ、じいさん。」と心の声を発し、僕はスズメバチとその幼虫を鷲掴みにしてほおばりました。正直、一瞬「いえ、結構です。」とクールに断ろうかと頭をよぎりました。しかしそれでは、男が廃る。一見クールに断っているように見えますが、ただのビビリです。僕は日本酒を一口飲み、意を決してその蜂の子とやらを鷲掴んだのです。食べてみて驚きました。これがまた見た目に反してなかなかうまい。
それから蜂の子は何度も出てきました。事あるごとに蜂取り名人のおじいさんは蜂の子を大量に持って来て、嬉しそうにみんなにばらまき始めます。僕はそれを見ると「うわあ、またか…」と最初は思い、お酒を飲み始めると結局バクバク食べている。回を増すごとに少しずつ楽しみになっている自分がいました。そして僕が思ったことは、環境の変化にはさっさと順応した方が楽だし、不可能を可能にすることは楽しい。そんな機会をくれた、蜂取りおじいさんに感謝してます。
そういえば、先日テレビを見ていると、蜂の子を食べる習慣がある、地方の映像が流れていました。イカの刺身をエサに、糸と目印のこよりを付けておき、蜂がそのイカを持って巣に向かい始めると、おじさん達は走って追いかけ、巣を探し、掘り起こすというものでした。その地方のおじさん達が子供のように「あっちだ!行ったぞ!」とか言いながら、山の中を駆けずり回っている姿がとても楽しそうで印象的でした。無事に蜂の巣を掘り起こし、収穫した蜂の子を酒の肴にして、みんなで晩酌していました。そのおじさんは、「この地方の、この時期しか採れない。こんな贅沢な酒の肴はない」と嬉しそうに蜂の子を食べていました。
僕は現在、蜂を食べた村から引っ越してしまい、もう食べることはできませんが、今思えば贅沢な物を食べていたんだなあとそのテレビを見て思いました。
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